NHKの大河ドラマ篤姫は、
以前にも家定役の堺雅人さんの演じっぷりに感じ入ってこのblogにもエントリーしたが、久し振りに良くできた大河ドラマだと思う。
宮崎あおいの演技が回を追うごとに素晴らしくなって行くのを感じた。
共演の大先輩たちの神業のような演技を吸収し、反応し、昇華して行く。
いにしえの人々の命がこの人の篤姫への「成りきり」で現代によみがえる。
大河ドラマ最年少の主役であったが、新鮮さ、迫力、理解力、吸収力などあらゆる面で画期的と言える、素晴らしい演技であった。
私自身も、このドラマから仕事や生活に活かせる色んなものを学ばせてもらった。
(人の気持ちの扱い、反応の仕方、行動力とその反応、判断ポイント、日本人の気概、美学etc)
宮崎自身も以前の演技と比べ、大きく脱皮し「大人」になったと思う。
短期間で成長した役者の姿を、目の当たりにした。
当たり役だったな。
TBSTVで養殖クロマグロの近畿大学プロジェクトを紹介していた。
卵を孵化させて成魚までの完全養殖は世界初だそうだ。
他の国でも養殖はやっているようだが稚魚を獲ってきてそれを大きくするだけの養殖であり、減少する海のリソースを維持、確保することにはならない。
人工孵化は、共食いや、敏感な性質のための各種トラブルが相次ぎ、かなり苦労した事例が紹介される。
魚のことは魚に聞く。
魚は、苦しみを訴えているので、人間がそれに気づくことが肝要であるという。
次から次に死んでいく稚魚を解剖し、何が起きているかを分析、対策する。
マグロは成魚になってもデリケートな魚で、種々の理由で死んでしまう。
限界までのスピードで泳ぐので、スピードを出すために硬いウロコが無く、柔らかい皮膚だけだそうだ。従って皮膚が弱い。
養殖用の網などにぶつかって傷を負っても死んでしまう。
そういった様々な困難を乗り越えて、養殖の目処を立てる。
価格は、現状でも天然の半分だそうである。
更に、最近はベジタリアンマグロにチャレンジしているそうである。
マグロは海の食物連鎖の頂点にいるので有害物質が蓄積されやすいので、餌を大豆などの植物に変え、ベジタリアンとして養殖する方法を模索していると言う。
海の資源も競合が激しくなってきた。
寿司などもグローバルな料理となり、マグロの美味しさも世界中が知ってきた。
マグロも世界中が求め、枯渇してきている。
我々が食うマグロは我々が作る。
この感覚は、色んな分野で今後、日本人に要求されてくることになると思う。
エネルギー問題や、環境問題、など様々な分野で Cool Japan を目指さないといけないだろう。
何気なく見た番組であったが、教えられることが多かった。
NHKTVで 立花 隆 の取材によるドキュメンタリー「立花隆が探る サイボーグの衝撃」を見た。
先の、「サイボーグ技術が人類を変える」 の続編のような番組だった。
従って、前の内容と重複するような所も多々あったが、今回感銘を受けたのは以下の2点。
1.Brain machine I/F による脳のコミュニケーション革命(の可能性)
・脳から直接情報を取り出す。
・外部記憶装置から脳に情報を取り込む。
・networkを介した、言葉を使わないコミュニケーション。
・多様なセンサと脳のリンクにより、他地点(ex;火星)にあるロボットの受ける情報(暖かさ、手触り、香りetc)をここ(地球)に居ながら感じれる。
・人間がかつて体験した事の無い新たな感覚。
脳の可塑性:状況の変化により脳自体も柔軟に追随、進化する。
太古から人間のコミュニケーション自体も、進化し(叫び声、各種抽象文字、各種言語、活字印刷、写真、ネットワークetc)、脳も変化してきた実績もある。
人間存在の拡大に繋がる(可能性がある)。
2.人間存在のIntegration
映画監督押井 守と立花の会話、心理学者 河合隼雄と立花の会話により、深められた
人間の本質とは何か。
押井監督は「記憶こそ人間の本質である」と言う。
河合は「人間はパーツの集合ではない」という。
このまま、歯止め無く、人間のパーツのサイボーグ化、脳の可能性へのチャレンジが続いたら人間はどうなるのか。
不老長寿の科学的回答の一つが、自分の記憶をサイボーグという新たな肉体(?)へのリロードとなるのか..。
その前にロボラットなどの軍事転用や不死身のサイボーグ戦士などによる歯止め亡き戦争への恐怖と自滅か..。
今回のオリンピックは、今一、盛り上がりに欠け、前評判の高い選手が次々に失敗し、日本のメダルは一つも無いな、と思っていた。
そんな中、女子フィギュアのショートプログラムで、3位に着けていた荒川がフリーで実に落ち着いた演技をし、逆転の金メダルを獲得した。(アジア初の快挙!)
1位のコーエン、2位のスルツカヤがプレシャーにより、次々とジャンプで転倒(スルツカヤの転倒なんか始めて見た!)する中、練習で積み重ねた実力を遺憾なく発揮し、堂々の金メダルである。いやー、感動した。
この人、金、銀、銅と3人並んでも、一番背が高く、スタイルにおいても、USやロシアの人に引けを取らない。それに、プレーをしている時の姿が(表情も)一番美しい。
この人の印象は、競技に入ってからの、自分の追い込み方が一番、上手く行っているなと思わせられたこと。気持ちの強さがこちらにも伝わり、日に日に落ち着いて行くような感じで、3人の代表の中でも、一番安心して見ていられた。
村主の体を張った頑張りも、見ていて痛いほど分かり、個人的には応援していたが、惜しかったな。
インタビューでは、お利口さんな発言をしていたが、やはり込み上げるものが画面を通じてこちらにも通じる。
泣くな村主、君の頑張りは皆の認めるところだ。繊細且つ妖艶な、全てを出し切った名演技だった。4位でも決して恥ずかしい成績ではない!
TV朝日サンデープロジェクトの特集でプロ野球における人工芝生の問題を見た。
プロ野球の芝が人工芝になって来ている理由は、主に経済的な理由で、
・そもそも、ドーム球場は多目的な理由で作られており、野球以外の用途には人工芝の方が、が都合よい。
・(ドーム球場は)天候に関わらず使えるため、経済的には好都合。天然芝には良くない。
・天然芝より維持費が安い。
等だそうだ。
一方、選手には次のような負担がかかる。
・(人工芝の下がコンクリートなので)硬く、足の裏が痛くなる。
・摩擦力が大きく、天然芝のようにクッションが無く、動作(急激なターン、滑り込み)により、足の負担が大きい。場合により、足首の捻挫などに至る。
・ジャンプ後の足への圧力負担が15%増加する。(硬く、たわまないので足に直接負担がくる)
・結果的に選手生命を縮める。
その為に、選手は思い切ったプレーができず、野球のダイナミズムが失われ、ファンを失う事になる。
実際、10年ほど前に、アメリカでは人工芝球場が人気低迷に繋がり、リーグ側がベースボールの大事なところを失ったと気付き、天然芝に戻したと言う歴史もある。
TV朝日の各球団へのアンケートへの回答はほとんどが経済的理由で人工芝を止めるつもりは無いと言っている。
メジャーリーガの何人か(松井、井口、田口)は、はっきり人工芝の問題を具体的に指摘し、MBLへ去って行った。
目先の経済性にこだわる事が野球をつまらなくし、ファンを失い、縮退に追いやるのではないか。
この2~3年のファンの声を大事にすると言う一連の動きは、表面だけの事だったのか。
NHKBSで日本人メジャーリーガー(松井、イチロー、野茂、田口、大家)の一年を振り返ったドキュメンタリー 「終わり無き情熱」 を見た。
大半が、松井とイチローであり、残りの3分の1が野茂以下の3人を纏めて製作していた。
イチローの所で気に止まった話。
・イチローはバッティング時に選球眼(眼でボールを追う)ではなく、選球体(体全体で感じる)で振り抜くと言っていた。
・昨年の永いスランプを抜け出す兆候を掴んだ時も、初動の遅さをビデオでチェックし、体全体で振り抜く感じを得た後、スランプを脱している。
・その感じを得た「時」のことを紹介していたが、ストライクゾーンを大きく外れたボールを思いっきり空振りした時であり、我々から見ると、アレ?と言う感じだが。
・本人の解説によると、大きな空振りでも選球体が戻ってきたと言う「感じ」がつかめればOKと言う。
何がいけないのか分かって来れば、後は自分のプレーをしていれば徐々に(本来の形に)戻ってくると確信しているそうだ。
これはこれで興味深い話だが、このイチローの非常に属人的ワザを監督が理解していなくて、この空振りをマスコミに批判的に論じたりして、イチローには相当ストレスが溜まる時期であったらしい。
(色んなところで「グチは良くない」とプロのコメントを発していたイチローでもやはり、人の子で、我慢の許容を超えたらグチが出るものだと言う事が分った。彼自身の口からそれが聞けたのは面白い。)
一方で、田口壮も苦しいシーズンの前半であったが、彼は監督のラルーアが田口の事をよく理解してくれた為、ある意味、幸せなシーズンを送っている。
結果が出なくても、彼の一球、一球への対応を監督が正しく理解し、田口にもマスコミにも、適切なコメントを伝えたため、田口は、全身全霊を込めてトレーニングし、試合に打ち込む事ができた。
その結果が後半戦における彼のブレークに繋がる。
片や、イチローのワザや取り組み姿勢を監督が理解しないがために、イチーローらしくないグチを吐かせる事になり、彼を苦しめている。
この事例で、我々の仕事においても得られる教訓は多い。
疲れて帰ってきて、さて寝ようかと思っていたらTVでこのシーズン恒例になった小田和正の「クリスマスの約束」が始まったのでつい2Hr見てしまった。
このシリーズも何作目だろう?
今回は随分と明るい雰囲気作りと、体育会系のノリで一貫している。
小田さんもいい年なのに昔のアイドルのように、ステージ狭しと走り回っている。息が切れて声が出ない^^;
彼の(全盛期と比べて)衰えた歌唱力(失礼^^;)に反して、客席は皆、アットホームな感じで暖かい。彼も60歳間近というのに少年のような初々しさが残るハイトーンで、熱唱する。
この国のポップスも随分と成熟したものだ。曲ごとにオリジナリティ溢れるセンスの良いアレンジと、音作りを愛し、楽しむ人たちの豊かさが伝わってくる。
観客も30年来の一緒に歩んできた、慣れ親しんだメロディを一緒に口ずさむ。
綺麗なメロディとハーモニー、センスの良い音作り。皆の意識が一点に集中する。
オジン臭さも漂うのに、独特の神経質さも見え隠れするのに、美しいそして優しい言葉を選び、皆の心を盗んでゆく。
また、来年もやってくれよな。
NHKTVの「課外授業 ようこそ先輩」を見た。この番組は出演者(先生)によっては、良く見る番組の一つである。
今回は朝崎郁恵さんという島唄をうたう人である。彼女の出身の加計呂麻島の中学校へ行く。
全校生徒9名という小さな島である。その内の中学生2名に対する授業を行なう。
「いきゅんにゃかな」(行かないといけないかな)
というタイトルの(島への別れの)歌を歴史的に紐解いてゆき、祖先の代からの思いを伝える。
朝崎さんの島唄は細かな節回しの情感たっぷりの独特の歌唱法で望郷の念を伝える。
彼女の唄には風景がある。
全身で訴える「心」がある。
「いきゅんにゃかな」の詩は見送る人の切ない思いと、島を出て行く人の離れがたい思いを情感たっぷりの悲しみで構成されている。
つい、昨日、韓国からの帰りの便で、空の上から小さな島々をいくつも見た。飛行機だと、ほんのひとっ飛びの距離であるが、昔の人には二度と戻れない遠い距離だったかもしれない。
VTRで画面に映し出される(昔の島の)別れの風景では別れ難い気持ちと、もう戻れないのではないかとの思いが別れのテープを何時までも放さない。
そういう時代背景と、島の人の心を若い二人に伝えた授業であった。
島を離れる悲しみを唄う。島の心を永く伝える。
朝崎さんの島を思う表情と、純朴な二人の若者の表情が印象的であった。
NHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」を見た。
こりゃ~すごいものを見た。立花隆にはいつも驚かされる。
簡単に言うと、
・脳の研究が進み、脳内の機能MAPがかなり明確になったため、脳内に電極を埋め込み、異常な信号を発する部分に電圧を加え、これを押さえたりする治療ができるようになった。
(ex:パーキンソン病で震えが止まらず生活に支障をきたしていた人が震えが止まり自分で歩けるまでになる。薬の効かない重い精神病患者が悲しみの中枢であるCg25というスポットを刺激すると鬱病から回復するetc)
・脳内コンピュータインターフェースが開発され、機械の手や足などの部品を脳の指令(考える事)により制御する。(実際にねずみの頭に埋め込まれた電極の刺激によりネズミの動きを見事に制御していた)
・脳に100本の電極を埋め込まれたさるが、(制御しようとする人が)考える(意図する)だけで接続された機械の「腕」を動かす。
ここらで怖い話になってきたなと思っていたら、やはり軍事転用のアイデアが幾つか披露された。
・頭に電極を埋め込まれ自在にコントロールされるねずみ(ロボラット)によるテロ攻撃。
・ネットワークに繋がった装置が「ある人の意志」により遠隔地から作動させられる。
・特定の運動機能や能力が脳の特定部位を刺激すれば鍛えられるのでは?(オリンピックはどうなるの?)
etc考えたらキリが無い。
そもそも脳の機能や能力を変えすぎたら人間と言う種と言えるのか?
人間がこれらの致命的とも成りえる課題を短期間に解決できるのか?
今までの脳神経外科やニューロコンピュータ、機械工学の応用などとは一線を画すヤバイ問題が沢山隠れている気がする。
難しい時代になったものだ。
読売TVのドキュメンタリー「吹奏楽の甲子園、普門館を目指して」を見た。
タイトルの通り、吹奏楽の技を競った高校生のトレーニングの様子を半年以上追いかけたドキュメンタリーである。
青森山田高校、大阪淀工、習志野高校のそれぞれのユニークなトレーニング風景が紹介される。
指導される先生方の熱心な、というよりもっと強烈な人間性が面白く、指導方法、放たれる言葉そのものにも感動する。
普通の高校生ゆえに、技術の壁にぶち当たり、悩み、挫折感を覚える。しかし、若さは何度でもチャレンジし、自らの限界を打ち破り、向上していく技術、チームワーク、音楽の質が画面を通して見える。
我々のプロジェクトにも通じる、一体感の醸成や、自立的な改善活動、リーダシップ、など参考になるものも多々見られた。
思いがあるか! これに尽きる。
高校生の爽やかなエネルギーや情熱に心を打たれた。
NHKTVにオリビア・ハッセーが出ていた。
懐かしいなんてもんじゃない。超が付くほどの懐かしさを感じた。
フランコ・ゼッフェレリ監督の 「Romeo&Juliet」 1970年(頃だった?)を丸刈り頭の多感な時代に見た。
15歳のオリビアは輝くほどの美しさで、ニーノ・ロータの美しい音楽と併せて、当時、かなりヒットしたと思う。今、思い出しても、胸キュンの映画である。
ゼッフェレリ監督はシェークスピアのR&Jを全く新しい解釈で、若い(原作の設定年齢に近い)配役で、非常に現代的な恋愛劇として表現していた。
オリビアの完璧に近い美しさは、(当時の私が)のぼせ上がるに充分で^^;、何度も見に行ったものだ。今のようにビデオやDVDで簡単に再生できる時代ではなかったので、余計に恋しかったのかもしれない。
全編に流れるニーノロータの音楽は、今聴いてもすばらしい出来で、シングルカットされた 「what is a youth」 は、間に台詞も挿入された臨場感溢れるもので、音楽、歌、台詞が違和感無く一体化した完成度の高い樂曲であった。
オリビアは最近、マザーテレサの役で映画を作ったと言っていた。早速、検索してみよう。
NHKTVで美しい映像に感銘を受けた。
写真家、白川義員さんが世界中の有名な滝100選を撮る、と言う事で、世界中を旅している。今回はナイアガラの滝周辺で自分の描いたイメージに近い場面を探す姿をドキュメンタリーで追いかけたものである。
氏は、自然はただの物ではない、ここでしか撮れない写真があると言う。宇宙と繋がる滝を撮りたいと言う。どうやって宇宙と繋がるのか?
どうも、フレームに仮想の世界を描いているようだ。そこに小宇宙、自分の心象を写す。その世界(宇宙と繋がった滝)に近い風景を探して、山に、空に出る。
写真家の「仕事」に新たな認識を得たのは、「その瞬間(偶然?)」を捉えるだけでなく、氏のように、
・あるコンセプト、哲学で
・自分なりに描いた(デザインした)絵のような完成イメージが先にあり
・それを具現化する素材(時間帯、光、場所、(偶然も含めた)組み合わせ、インスピレーション等等)
を追いかけて、地球を(宇宙を)旅する詩人、アーティストなのだ。と感じた。
地球はかけがえの無い生き物、水、風景に満ちた奇蹟の惑星である。その奇蹟の惑星に対する、(むしろ宇宙全体への)氏の限りない愛着を感じた。
だから、氏の写真には美しさだけでなく、悠久の安らぎを感じ取れる。
熊本の老人ホームで壁画を書く画家 古場田 博さんと認知症を患ったホームの老人との心の交流を描いた 「笑顔の廊下」 というドキュメンタリーをNHKTVで見た。
認知症というのは痴呆症のことで、所謂ボケのことである。脳梗塞で倒れて、失語症になったお爺さんや、ご主人を無くした後、急にボケ始めたお婆さんなどが登場する。
ホームの人や、家族がどんなに語りかけても反応が少ない、無表情の老人が、古場田さんが描く壁画をじっと見詰める。古場田さんは、昭和を彩った懐かしいイベントや風景を軽妙なタッチで描く画家である。
今回はホームの壁画に昭和30年代の庶民の生活、懐かしい暮らしを描く。
不思議なもので、自分が生き生きと暮らした、昔懐かしい風景を眺めると老人の口が開く。いろいろと語りかけてくる。終いには大きな声で高らかに笑ったり、表情が生き生きとしてくる。
最近、母親を無くした古場田さんは自分の母親と重ねて、ホームの老人に誠心誠意接する。
素直な子供のような目で見つめる老人の眼差しと、懐かしい時代を絵から思い出している(であろう)姿に感動してしまう。複雑な脳の働きや、この老人達の若かりし時の姿などを思い描き、色んな思いが胸の中で交錯する。
心が通じ合う、そのやさしい空間と、それを生み出している心やさしい画家と、製作スタッフのことを思った。
斉藤孝は3〜4年まえは着眼やテーマが面白く、結構その著書を読んでいた。子供に読ませるにも切り口や、テーマがちょうど良かったと言う事もある。
ただ、最近はちょっと乱作気味では?
そんな中、NTVで、彼の段取力を取り上げていた。
彼は、自分の授業で、段取力のトレーニングとして、料理番組(キューピーの3分間クッキング)を使い、倍速度でビデオを見せ、ノートに要領良く段取をメモさせる。
料理番組は段取を考えたり、纏めたりするトレーニングにちょうど良いネタだと言う。
斉藤氏曰く 「技(わざ)ものはやっている内にうまくなる」 そうである。
段取力とはトレ−ニングで一定以上の力がつくと言うわけだ。
料理には 最終ビジョン(出来上がりイメージ) と 素材 がある。その両者をつなぐのが段取である。
段取を考えさせるのにちょうど良いネタというわけだ。
案1でやっていると想定外のことがおきて戸惑う、というのが現実の世界である。その時に、如何に、案1’や案2をイメージでき、実行に移せるか。
これもトレーニングである程度まで強化できるのかな?
仕事全般、人生全般にも通じる事である。
NHKのBSで全国の小学生柔道家の全国大会を追跡取材した「悔しかったら強くなれ」を見た。
宮崎代表と、石川代表、岐阜代表のそれぞれの練習と家族の状況を番組は追いかける。
宮崎代表の監督は丸山さんという人で、金メダリストの古賀選手や吉田選手と一緒にオリンピックに出場し、本人だけ惜しくもメダルを獲得できず惜敗した人であるが、この方が、自分の2人の息子を鍛え、将来に自分の果たせなかった夢を託すというストーリーだ。
同時進行で、いくつかの人生ドラマが展開するのだが、各々の子供たちの短期間に成長する純な姿と、強くならんが為にひた向きに練習する姿が、幼いだけに胸を打つ。
小学校5年生の次男は小さな体で何度も親父に向かいながら投げ飛ばされ、泣きながら何度も起き上がって向かっていく。一つ違いの6年生の兄は、もう、自分なりの練習を工夫し、大人の発言、責任感、風格を漂わせる。
結局、取材されたチームはどこも負けてしまうのだが、人間は勝つことより、負けることにより得るものが多いことをこの番組により学べる。
丸山さんが幼い2人の息子に繰り返し言っている、
「 努力とは、
1.人から言われなくともする。
2.人が見ていないところでする。
3.人がやらないことをする。 」
「負けて悔しかったら、強くなれ!悔しさを忘れるな。」
子供たちにも一生忘れない体得した言葉となる。 艱難汝を珠にする。
一息入れながら、TVのチャンネルを変えていたら、仲間由紀恵が出ている「ごくせん」という青春番組(ちょっと古いか^^;)と出くわした。
ストーリはありふれているが、仲間由紀恵がはまり役(と思う)で、つい、全部見てしまった。
「自分の教え子は何があっても体を張って守る、信じる」 という(クサイ)台詞に不覚にもほろりと来てしまった。
筋を通すのが人の道であると言う、主人公の台詞は分かりやすく説得力があった。
悪いことは悪い、相手が誰であれ、自分が間違ったと思ったらちゃんと謝る。こんな当たり前のことができなくなってしまった。古き時代の親の厳しさと、こんなシンプルな倫理もきちんと子供に躾ができてない自分の情けなさを考えてしまった。
TV東京の木曜洋画劇場で「壬生義士伝」(2003年、松竹、滝田洋二郎監督)を見た。久しぶりの美しい映画だった。絵のように美しい画面、構成、色使いが各所に散りばめられ、展開のうまさと相俟って、最後までひきつけられてしまった。中井貴一がはまり役で、吉村貫一郎という幕末の質実剛健かつ家族愛に溢れる両面性のある下級武士を完璧に演じていた。
トム・クルーズ演じるラストサムライと比べ、日本人による日本人のメンタリティを余す事無く描いていた。昨今の、武士道の流行で、色んな場面でサムライが取りざたされるが、この映画でも「義のために死す」という武士道が描かれる。
しかし、この主人公、それだけではなく、なぜか、個人的に惹かれるものがある。何故だろうか。
とにかく、一生懸命生きている。ふっきれており、肝が据わっている。人間っぽい。穏やかでかつ、芯の強い生き方。日本人のDNAの部分で共鳴する質素で美しい生き方、見事に純粋な生き方がある。原作を読んでみる気になった。
うーん、音楽は久石 譲だったのか。
俺も最後は「万策尽きもした。」と言って死ねるほど、懸命に命を燃やしたい。
最近、再度見直したいと思っている、日本人の優位性についても、考えさせられるメッセージを沢山もらった。ヒントが沢山あった。