2011年1月11日

ジャパン・シンドローム

昨日と、今日、NHKのNewsWatch9で特集していた。
日本は、かつて世界のどの国にも例の無い勢いで、超高齢化社会に突入している。
英国やドイツなどは、研究所を作って、日本の高齢化事象の推移(対応)を研究していると言う。

出生率低下、人口減少、高齢化で経済の停滞、税収減による国や自治体の多額の負債、社会の活力減、雇用の不均衡、若手のモラルダウン、結婚しても子供が埋めないetcetc
悲惨なスパイラルに落ち込んでしまう。

手を打たない訳にはいかないので、行政も「機能転換」と言う「手抜き」をせざるを得ない。
つまり、耐用年数に達しても水道管の取替えや道路のメンテなどを止めるようになる。
かくして、社会資本の維持にも影響が出て、国としての機能も減退してくる。

20年前には高度成長を世界に誇った日本は一気に大きく停滞してしまった。

随分前から指摘されてきたのに、有効な手が打たれているとは思えない。

今朝のNHKニュースでは、この国の成長に希望が持てないと言うことで、自動車部品メーカが競って中国に出て行くという。
国内雇用への影響、技術発散、空洞化という心配が先に立つ。

どうしたものか。

筋道からすると、若い人が安心して仕事を得、子供を生める環境づくりが早急な課題のトップかなぁ。

ヨーロッパ先進国に範を得た、女性の活用(ウーマノミックス)
教育(環境、プロセス)の見直し
高齢化対応技術(医療、ロボットなど)の取組み(前向きな開き直り^^)
移民の受け入れなどを本気で取り組む
ヒューマンリソースの未来を向いたフリート管理
etc

勝手に書き連ねると、幾らでも出てきそうだがね。

成長のエンジンになるものを探し出そうぜ!

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2011年1月 8日

再開

昨年後半から、ある仕事で多忙に成り、出張も多くなったので、時間が取れず、blogから遠ざかっていた。
一度、離れると習慣性が無くなり、再開も億劫になるものだ。

意外であったが、今年の年賀状に、複数の方からblog止めたの?とか、楽しみに見てるよ、とコメントがあった。

だからと言う訳ではないが、年初から細切れ時間を使って少しづつでもエントリーして、習慣化したいと考えている。
blogも今年で足掛け8年目となり、自分でもそれなりの意義も感じている。

今の仕事で、従来にない人との新たな付き合いも出来、新しい刺激、考えを書き留めるのも面白いかもしれない。

本年も宜しくお願いいたします。

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2010年5月31日

体の使い方を身に付けさせる

NHKニュースでやっていた。

ある幼稚園でテストしたら、園児の中で、ボールをちゃんと投げられる子供が全体の3%しかいなかったそうだ。
腕だけでなげたり、両足をそろえたまま投げたり、ちゃんと投げられずに地面に投げつけたりetc 映像を見ると、どうなったのかな?と言う不思議な感じである。

そういった事実に驚愕し、園側も対策として、生活を少し前に(不便に)戻したり、リスクをあえて取ったりして、子供たちの身体能力を付けさせる取組みをしていた。
(例えば、水道の蛇口のひねりを以前のひねり難い物に変えたり、水筒の注ぎ口もあえて手で回す古いものに変えたり、多少危険な遊びにも目をつむったり、etc)

効果は直ぐに現れるそうだ。

現代人は、便利さと引き換えに、体の磨きを犠牲にしている。

子供たちには、不便さこそが、体の使い方を身に付けさせる格好の材料なのである。
大人にも考えさせられる問題でもある。

全ての課題には俯瞰すべきバランスが背景にある。

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2010年4月17日

異変の兆しか

4月の中旬だというのに、真冬に逆戻りである。
余り記憶に無い寒い春だ。
三寒四温と言うが、日替わりメニューで超温、超寒、超温、超寒、と10度/日の温度差が続き、体調維持が大変だと思っていたら、今度は真冬の気温である。

花見は当に終わったのに寒いので花も凍えて散りきらない。
早いところは既に葉桜になっていたが、それに雪が積もり、白、ピンク、グリーンの三層構造である。こんなの見たこと無い^^。

中国の青海省では大地震で1,100人を超える死者、その10倍の怪我人だという。以前の四川の地震を思い出させる。

アイスランドでは火山の大噴火で火山灰が舞い、ヨーロッパの空港を悉く閉鎖している。空の便は大混乱し、解消の見通しは立たないと言っている。過去に例の無い事態である。

地球というシステムが歪んで来たのか、何らかのバランスを取ろうとしているのか、大きな異変の前触れなのか。

やりたい放題の反省の無い人類に地球が怒っているようだ。

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2010年2月27日

草食系という生き方

ある米国人の男性と飯を食う羽目になった。

米国人の食う肉の量は凄い。一緒に食っていても、(同じ男として)恥ずかしいくらいの差を感じる。

昔、USに行ったとき、USの国内線の飛行機で隣に座ったカウボーイは、腕の太さが私の太ももくらいあり、この腕で首を絞められたらイチコロダロウナ、と思ったことがあった。

狩猟民族は、野獣を倒す為に強くないといけない。
男は戦うために、瞬発力をつけるために、大食いし、大きな体、太い腕、筋肉ムキムキの身体を作る。
そうでなければ勝負に勝てないし、女にもモテナイ。

しかし、日本の男からみると、あれでは長生きできないだろうな、と思う。
太かろうが、強かろうが、内臓には脂肪が溜まりに溜まり、心臓にも、血管にも大きな負担が掛かっているだろう(きっと、多分^^;)

日本人男性は、草食系といわれようが、男らしくないといわれようが、エコに生きるべきだ。その方がきっと長寿になる。
知的ワーカーは賢く生きなければ^^

世のインテリジェンスは女性的、日本的、な生き方の方に向かう(たぶん^^)

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2010年1月13日

NYタイムズが廃刊?


クローズアップ現代でアメリカの新聞業界の危機を伝えていた。
USでは、新聞の収入の7割が広告収入であり(日本は逆に収入広告は3割)、インターネットの普及や不景気で激減しており、新聞の廃刊が相次いでいるそうである。
日本でも特にローカル紙が危機に陥っている。

媒体は電子化、ポータブル化、インターネット化、等多様化し、いつでも何処でも(特殊な記事以外は)無償で見れるし、便利になった。
しかし、記事を書く人が要らなくなる訳ではない。

番組でも、国内、海外を問わずインタビューに答える人に(インターネットがあるので)新聞は読まない、必要ない、と言う人がかなりいたのに驚いた。
必要な記事(だけ)を選んで見るメリットは分かるが、自分の知らない、気づかない記事も新聞は一覧できる、俯瞰できる良さがあると思うが。

記者がどんどんリストラされていなくなったら、質の高い記事や、一つのテーマを執念深く追い続け追求する記事が望めなくなるのではないか。
USのインタビューでも、新聞がなくなったら、悪の追及が止まり、汚職や選挙違反など見えない犯罪が確実に増えると指摘する人がいた。
記事を読む媒体が豊かになることに反対はしないが、それがジャーナリズムの衰退や死に繋がることだけは阻止しなければならない。

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2009年12月 6日

オバマの苦悩

朝のTVで、オバマのアフガニスタンへの兵力増強の決意表明の映像が映し出されていた。
反対派の意見やネガティブキャンペーンの様子も大々的に展開されている。

今回は「オバマの戦争だ。」(今までは前任者の決定だったが)と言う。
さらに、彼の人間像でこんなことをするとは思わなかったと落胆する人もいた。

解説によると、4万人の兵力増強しないと、USの負けになると言う背景で、オバマは自分が指名した人間を裏切る決定は出せなかったのだと言う。

立場や意見の違う人、全てを納得させることはできない事だ。
また、動き出した大きな組織はそんなに簡単には、舵は切れない、と言うことも分かっているつもりだ。
自分の理想通りに行かないジレンマ、時間の無い中で結論は伸ばせない苦悩が表情から読み取れる。
とにかく、オバマは 「オバマの戦争」 開始の結論を出した。

でも、本当に彼がやりたかったことだったのか。

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2009年11月27日

講話後の閃き

先のエントリーで記述した講話を昨日実施した。1時間の話とその後のQ&A。

自分が現場で悩んだことの自分なりの整理学であったので、準備期間が充分になかったが、それなりのメッセージ発信できたと思う。
聴講してくれた選抜PM達の反応もそれなりにあったし、質疑応答も手ごたえあった。

以前お世話になったS先生もUSからお見えになっていて、完了後に身に余るコメントを頂いた。
このコメントと、講話の中で話しながら、自ら気が付いた事があり、ちょっとワクワク感があった。
今朝、早起きしてこのワクワク感の(アイデアの)デッサンを行なった。
ちょっと楽しくなってきたな^^。

これをもって、近いうち国分寺のYさんを尋ねて行こう。
きっと、良い議論ができると思う。

継続して考えることの意義を感じた日であり、つぎのステップに昇華させていきたい。

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2009年11月25日

コミュニケーションのイノベーション

明日、会社のプラチナPMに対して、講話をする事になった。
型通りの教訓話ではつまらないので、何か考えてもらうために、若きプロジェクトチャレンジャー達に幾つかの提案と議論を持ち掛けようと思う。

そう言うことで、この2〜3日かけて、下手なppt技術で題記のテーマのプレゼン資料を20枚ほど作成した。

今日、この辺りの薀蓄で一目置いている、Fさんに話を聴いてもらい、レビュー兼議論を挑んだ。

30分のつもりではじめたが、展開が楽しく、あっという間に2Hrが経った。
見識や、アイデアのある人との議論は楽しくまた、触発される。

プロジェクターにつないだPCで、議論経緯のキーワードを叩きながら話を進めていたので、議論の展開が頭の中で整理され、実にスッキリとした充実した議論になった。

この経験は何か生みそうだな。

明日の、若きPM達の反応も楽しみだ。

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2009年11月 4日

成長戦略

鳩山さんが国連総会の演説(25%の温暖化対策)で拍手喝采を浴びてから1ヶ月くらい経つ。
批判も多いが、今日のニュースなどを見ていると、前向きな対応も随分と聞こえて来ている。

住宅会社や空調の制御などで事例の紹介があった。しかも(短期の割には)かなり良い数字を出していた。

経産省も、方向チェンジし、温暖化対策を成長戦略の柱にすると言い出している。
自然エネルギー(太陽光、小規模水力、風力etc)に対する積極支援、電気の買取制度(電力会社への義務付け)などだ。

「地球温暖化対策税」などの新税の案も紹介されていた。
化石燃料の使用を抑えるために課税し、そのお金でベンチャーのユニークなアイデアなどの優遇、支援をする。
いずれにせよ、低炭素社会の構築と国民負担のバランスの問題になる。

一方で、LED電球の紹介があった。
つい最近までは一個1万円で売ると言う計画であったが、ライバル会社が半額(3980円)を発表したので、コスト低減を已む無くされ、国内生産から中国生産に切り替えると、あるメーカーの人が言っていた。
いずれにせよ、国内雇用には結びつかない訳で、これはこれで別の問題に繋がる。

25%の提言が色んな規制に繋がると、マーケットでは規制の無い中国などの国と、競争力の上で不利になる。

色んな不協和音を生み出しているのは事実である。
しかし、目標を明確に打ち出した意義はある。
上記した様に、新しい動き、新しいアイデアはどんどん生まれ、新しい成長戦略へ向けて舵は切られた。

5年後に、マスキー法の時と同じように、あの決断があったから「正しい舵取り」ができたのだと言われることを期待したい。

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2009年10月11日

「文明」と「野蛮」の葛藤

録画していたNHKTVのドキュメンタリー「我々は何処へ行くのか」を見た。
詩人で芥川賞受賞作家でもある池澤夏樹がポール・ゴーギャンの絵と生き方を案内する。

面白かった。

如何に生きるのか、ではなく、何のために生きるのかを考える。
深く生きるための指針を考える。

ゴーギャンも池澤も何度も居を住み替えた流浪の民である。
「土地の魂」との交流が大事だと言う。

ゴーギャンは、元々裕福な証券マンだったそうだが、当時の恐慌により職をなくし、絵の道に入る。
ブルターニュという深い精神性を持つ土地で思索をし、結局、タヒチに赴く。

当時の文明国(フランス)を離れ、まだまだ未開の(「野蛮」の)地(タヒチ)へ生き、光と肉体と神話(死)というモチーフに取り付かれ、深い思索を重ねる。

この辺りが、池澤のかつての悩み、思索と重ねられ、池澤の言葉で語られる。

結局、彼の作品は当時のフランスでは認められず、不遇な人生の終焉であったようだ。
しかし、
「画家にとって最大の幸福は、世間に認められ、人気者になり、絵が高く売れる事ではなく、まずもって、自分が納得できる絵が描けることである」
と池澤は表現する。

ゴーギャンも、最後は、「未開の自然と、完璧な孤独は死ぬ前に私の最後の情熱をかきたててくれるだろう」という境地になる。

文明人のゴーギャンが、目指したものは「文明」ではなく、「野蛮」であり、その為の住み替えを何度と無く繰り返し、孤独な最後を迎える。

果たして、最後の彼の心の中にはどのような「満足」、「納得」、「幸福」があったのか。

色んなことを考えさせる。

池澤夏樹と言う人も興味を書きたてる人だ。幾つか著作を読んでみたい。

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2009年10月 4日

修正する力

録画していたイチローの幾つかの番組での発言を聞いていた。
この人の職人気質にはいつも感心するが、今回感心したのは、次の発言。

「凡打の中に良い感触が残ると成功だ。」

つまり、ピッチャーにやられた感が無いという感触だそうで、これがあると次は確実に良い仕事(打席)が来ると言う。

打ち取られてもすぐに修正する高い能力があったから、9年連続の200本安打などという、素晴らしい記録が達成できたのだと思う。
正に、心・技・体の絶妙なるバランスを長期間維持できないと達成できないものだ。

この長期間維持というのは、モチベーションの絶えざる刷新も含め、気の遠くなるような難しさが伴う。

昔、親に聞いた日本の偉人の話には必ず出てきた必須な要素であったような気がする。
常に一歩前に、昨日より進んだ自分であらねば。

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2009年9月26日

鳩山イニシアティブ

鳩山新首相が、USでの国連総会にて行なった、温室効果ガス25%削減の演説は色んな評判を呼んでいる。

「日本の演説は、数少ない希望の星だ。」:NHKニュースで、あるNGOの人。
「日本が画期的なリーダシップを取った」:仏のサルコジ大統領。など

国内でも、比較的良い評価が多いようだ。
しかし、10年で25%という数字は、今後新しい技術が生まれることを期待しても、成熟期間や定着期間などを考えると、かなりきつい目標であることは間違いない。
しかも、少子高齢化で需要は縮小し、貿易黒字も減っているなど、かつての勢いは望めない環境下にある。

それでも鳩山さんは「日本人を信じている。」と言い切る。
画期的なイノベーションの始まりはこのようなイニシアティブがスタートになるのかもしれない。
きちんとした工程を引いたグリーン産業として花開き、定着するか。今からが勝負時だ。

鳩山さんは腹が据わってきたな。
今までの日本の政治に無かった「大胆な発言」が出来るのも、底力と日頃からの考える習慣が生み出すものだと思う。
日本の政治を思い切って変えて欲しいものだ。

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2009年8月30日

start

昨日から、久し振りに浅草の姉貴のところに行った。
自分の作る飯の限界も感じて、久し振りに旨いものでも食わせてもらおうと思って^^。

と言う事で、見るTVの番組も自分が日頃見るものとは全く違うものに成った。

日本TVが24HRTVをやっていた。
この種の番組は従来、ほとんど見た事が無かった。
義兄と酒を飲みながら何気なく見ていたが、引き込まれていった。

見ていたら、構成は
・井本の126kmマラソン(この人は別の番組でも好きになった頑張り屋さんである。)
・津軽海峡を6〜7人で泳いで渡る計画。主人公は立木早絵さんという盲目のスイマー。
・ダーツで選んだところへ行き、多様な人との出会いを描く。テーマは「スタート」である。
・そして、一番中核をなすのは全国の不具合を抱えて必死に頑張る人々の姿を追跡するもの。
etc,etc

見ていて胸を打つのは最後のパターンである。
日テレの思う壺であるが、死をかけて闘う若い人や幼子の姿は無条件の涙を誘う。
編集も上手い。

見ている自分は、酒を飲みながら他人事の傍観者ではあるが、色んなことを考えさせられる。

もっと生きたかった人、夢を追い続けたかった人、家族のことが心配でならなかった人、あと数ヶ月見極めるまで生きたかった人、etc
物語より現実のほうが遥かに厳しい。

この歳になって、多様な情報量を抱えて、初めて分かる、胸を打つものがある。
色んな人が色んな悩みや夢を抱えて必死に生き、頑張っている姿やその無常なる運命の成り行きを見ていると、自分の生きてきた理由や、これからの生き方も深く考えさせられる。

生きるための大きな視点を幾つか貰ったような気がする。

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2009年8月29日

新業態

朝のNHKTVの「ビジョンe」と言う番組で、流通業の新しい業態(の可能性)について語っていた。
そう言えば、サントリーとキリンがグローバル展開を睨んで、合併するとか、ローソンとマツキヨが合併(提携?)するとか、かつて無い大型合併の話が色々と起きている。

高齢化による市場の変化や、ニーズの多様化などマーケットはどんどん変化しているし、売る側が百年一日のごとく変わらない方がおかしいのかも知れない。

このblogでも以前、アップしたが、(老人がコンビニで一人分の刺身を買う話など)、ニュースなどでも前哨戦は既に現れていた。
薬剤師が足りないと言われる中で、あるドラッグストアのフランチャイズでは薬剤師を増やしているそうだが、コンビニとドラッグストアの組み合わせは新しい業態への変化の兆しかもしれない。

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2009年8月22日

漱石の決意

夏休み中にNHKTVで夏目漱石の留学時代の引きこもり体験を特集していた。
途中から見たが、結構面白かった。
思うところがあったので、該当する漱石の本を買って読んでみた。
(漱石の本なんて今更とは思ったが。)

ところが、読んで見て驚いた。
内容は文明論であったが、全く古さを感じない。
それどころか、共感できる部分が沢山あり、漱石を身近に感じた。

漱石は英国留学という慣れない土地で悩んでいたのは分かるが、神経衰弱になったとか、一人部屋に閉じこもって、奇怪な行動をしたとか、(単なる噂の話かもしれないが)あまり良い印象は持ってなかった。
しかし、今回、この印象を完全に払拭することになった。

漱石は、戦っていたのである。しかも、当時の世界最高峰の文化を誇る英国で、孤軍奮闘の頑張りである。
プライドの高い英国人との人間関係やカルチャーギャップは物凄かったと想像に難くない。

漱石は戦うことで、押し寄せる膨大な不安を無くすべく、決意し、立ち向かっていたのだ。
留学先でも、英国の受け売り(の論理)に陥ることなく、日本人として(個として)色んな概念を根本的に自力で作り上げるしかないと覚悟して、「自ら考える」ことで、自己の立脚点を固めていたのだ。

その時の、苦しみや、心の動き、覚悟、などが「私の個人主義」という講演録に記されている。

(レベルは違うが)直近の自分の個人的な問題認識や対応とも通じるものがあり、漱石に親近感を持ってしまった。

しかし、あの時代(1900年)に、後進国である日本から、最先進国に出て行き、2年弱で、ここまで至っている人間性、能力には感動さえ覚える。

漱石の小説でも改めて読み返してみるかなあ。

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2009年4月22日

ハンサムウーマン

NHKTV 「ヒストリア」で新島襄の妻、新島八重の半生を見た。

かなり男勝りの、腹の据わった女性であったようだ。
彼女(の生き方)を新島襄はカッコいいと思い、世間の噂など気にせず、生涯愛し、大切にした。

そんな新島がアメリカの知人に送った手紙に奥さんのことを以下のように表現している。

 ” She is not handsome at all. But,She does handsome. "
「彼女は見た目はさして美しくない。しかし、生き方がハンサムなのです。」

茶道の「寂(じゃく)」=どんな時にも動じないこと。
彼女は常に自分らしく生きた、「寂」の人だったようだ。

昔の人は、人を(伴侶を)大事にし、慈しみ、濃い人生を生きている。
羨ましい位だ。

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2009年3月28日

農業の改革

TVを観ていたら、(我々と同世代の^^;)結構な年のおっさん(ヤザワの追っかけもしているような血の気の多い人)が、主人公として、特集に出演していた。

「農業をカッコいい職業にしたい。」と言い放ち、国内マーケットの限界を感じ、その可能性へのチャレンジとして高品質な山形の米をオーストラリアに輸出することを企む。

・農家は農業経営者になるべきだ。
・マーケットを自覚せよ=消費者(の好み)を研究せよ。
・保護農政の鎖を断ち切れ。
・自立の道を探れ。

というのが、彼の主張である。
そして、私が最近、若い人に言っているのと同じようなことを言う。

「もっと頭を使え。考えろ。」

今ある限界は、与件を受け入れて、勝手に自ら壁を設けているだけではないか。
若い人は現状を打開し、柔軟な発想で、付加価値の高い成果を出すべきだ。

農業の経営も、グローバルな市場を視野に入れ、広いマネジメントの視野を持たねばならない時代になった。

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2009年3月21日

2連覇を賭けて

WBCの熱戦が続いている。
日本は予選リーグ一位通過を賭けて昨日は韓国と4度目の戦いをし、何とか勝ち、一位通過した。
このシリーズでは、韓国と4度目の戦いで、これで2勝2敗の5分である。
韓国も強くなった。

かつては圧倒的な強さを誇っていたUSも苦戦しているようであり、野球の世界も各国の力が拮抗してきたようだ。

決勝でまた韓国と優勝を争う、なんて事になりそうな予感さえする。
その時には、正に決着をつける5度目の戦いになる。

今回の日本チームは、投手力は安定していて安心してみていられるが、打力が今一か。精神力の弱さは国民性かな。相変わらずプレッシャーに弱いが、何とか乗り越えて欲しい。

一試合でも勝ち抜いて、楽しみを一日でも残して欲しいものだ^^。

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2009年3月17日

量のわきまえ

舌を可愛がりすぎて、胃を痛めることが多い。

酒の飲み方は反省することが多い。
・適切量のコントロールを考える。
・それを超える時は、翌日が無駄になる(ルーチンができない)覚悟があるか考える。
・体に無理が来る(過剰なカロリー摂取、メタボ、脳への影響etc)ことを考える。

食事の仕方も反省することが多い。
・量のコントロール(過剰摂取は無駄以上)
・質のコントロール(必要なものを、デトックス)
・良き習慣を、継続化する
・旬の野菜を沢山食べる
・食べることを楽しむ、感じる、考える、研究する、取り入れる

それでもたまには、羽目を外して楽しむことは楽しむ。^^;

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2009年3月16日

仕事の閉じ方

仕事の閉じ方を考えないといけない。
時間と言う貴重な「リソース」を使って、中途半端な「放置」は勿体無い。

振り返ってみると、中座したままoutputが無かったことは結構多い。
「別途報告します」がちゃんと報告されたことはまず無い。
仕掛かりはゼロと同じだと言っても間違いでは無さそうだ。

いい加減な終わり方は仕事をしてないのと同じだ。
(無駄な)時間を使うことに意味があるのではなく、成果を出すことに意味があるのだ。

成果(output)を必ず出す。
仕掛かりは中間時点の成果を明確にする。

outputを出すことを習慣化し、成果の無い仕事は時間泥棒と心得る。
当たり前のことだが、まだ身に沁みてないな。

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2009年2月21日

天気晴朗なり

一昨日は調子に乗って深酒をしてしまった。
(それはそれで、久し振りのSさんと同期のMと仕事のご縁もできて楽しい飲み会であったが)
翌日は使い物にならなかった^^;

いつまでも若いつもりでタラタラと飲んでたらアカン。 渇!

昨日は酒を抜いてしっかり寝たら、今日は朝早くに心地よく目が覚めて絶好調である。
何故か大根オロシを食べたくなって、大量に摩り下ろし、(冬なのに)素麺を湯がき、ポン酢にさらにレモン汁を加え、オロシそばならぬオロシ素麺にして食べた。
体が欲しがっていたのだろう。食べ終わった後の満足感が大きい^^。

今日は一日が有効に使えそうだ。
すっかり溜まってしまった「やりたい事」のたな卸し、整理をやろう。

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2008年11月 8日

USの選択

やはりUSはオバマを選択した。
米国史上初の黒人大統領の誕生だ。

この国は、時として大雑把であったり、訳の分からない戦争を始めたり、出鱈目もするが、収める時はきちんと良識を働かせる。USの健全なところかな。

100年に一度の未経験ゾーンである金融危機といい、民族問題、宗教問題が複雑に絡みあったこの時代に、相対的に力が低下してきたUSを引っ張っていくのは誰がやっても相当に難しい。

それでもこの人に時代の寵児として期待したい何かを感じる。
白人と黒人のハーフであり、US、アジア、アフリカと繋がりのある背景が、今後の世界の「多様性」に対する感受性にマッチするのではないか。

この人には、色んなものを受け入れる素地と若さがあると思える。

アメリカの国民もそれを感じたから、これだけ関心が高く盛り上がったし、何かを変えたいと期待している。
難しい舵取りであるが、USだけでなく地球全体のバランスのためにも頑張って欲しい。

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2008年9月 7日

投げ出し

福田首相が突然の辞任を表明した。
驚いた。最近は予想の付かないサプライズが次から次へと発生する。

衆参のねじれ現象の問題や、小沢さんとの軋轢などがある中、ブレーンも無く、データと実行部隊は官僚に握られた中で孤軍奮闘していたことは理解できるが、一国の首相が、こうも「簡単に」責任ある仕事を短期で放り出されると、無責任じゃないかと思ってしまう。

マネジメントの現場で、へこたれる様な困難な状況が発生して来ることは、言わば当然の日常であり、だれでも多かれ少なかれ辞めたいと思いながらも、守るべきもののために、繋がりのある関連者のために、耐えて、闘っているものだ。

首相レベルの「困難な」問題とは想像の域を超えていて分からないが、使命感と孤独の間を揺れながら苦悩されていたのだとも思う。
しかし、大多数の国民を混乱におとしめながら、納得いく説明(責任)も果たさず、さらにマスコミに食って掛かるような言い方は感心しない。
そもそも、こんな重要な仕事は覚悟がないと受けてはいけないのだとも思う。

このような時に大事なのは「友人である」と、寺島実朗さんがTVで言っていたが、正にそう思う。
辞めたいほどの苦しさを聴いてくれ、アドバイスしてくれるような友人や仲間をいかに持てるか。

このような命をかけたような苦しみを乗り越えたときに、人間は一つ上の高みにいけるのだと思うし、それを信じて、日々、投げ出したくとも堪えて沢山の人が頑張っている。

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2008年8月16日

一意専心

北島選手は100Mで金を取ってから、1Hrも経たないのに別人のように顔つきが変わった。
人生を悟ったかのように大人の顔になった。
「超気持ちいい〜」と言っていた子供の顔はすっかり消えてしまった。

その後は、もともと、200Mの方が得意だったのも有り、勝利を確信した余裕ある泳ぎであった。
100Mの勝利で吹っ切れて何かを得た「脱皮」の成せる業にも見えた。

一時は負傷でタイトルが取れず、国内戦にも勝てない状況でひどく落ち込んだ時期もあったそうだが、立派なのは自己をきちんと見つめ、分析し、自分の強さ、弱さをきちんと受け入れ、弱点補強に努めたことだ。

金を取って当たり前と言う国民の(良きにしろ、悪しきにしろ)多大なる期待は相当な重圧だったに違いない。
大きなプレッシャーと責任感でこの青年のDNAに何かのビットが立ったと思う。

強い選手は、どの選手にも以下の3つの取り組みが共通すると思う。
・思い続けること
・基本を大事にすること
・心身ともに強化すること

タイトルの「一意専心」とは、脇目をふらず、ひたすらに集中して物事に努めること、である。
北島選手が今年の年賀状に大きく書いた言葉である。

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オリンピック雑感

オリンピックが連日、熱戦を続けている。
色んな身辺整理をしながら観戦している。

胸を打つ頑張りや、ドラマも多い反面、何だコリャというシーンも多く疲れることも多い。

色んな人種がおり、国情があり、成熟度がある。
その複雑な背景を背負った選手がおり、応援があり、そして「審判」がいる。

柔道の試合は久しぶりに見たが、正に「何だコリャ」である。
「指導」なる名の元に、色んな珍現象が見られる。
・間違って反対側の選手に指導が与えられても(審判団の)誰も気づかない。
・技を掛けて戦うことより、僅かな指導点にしがみつき、腰が引けて逃げ回るほうが勝ち?
 (これが戦略??)
・ほとんど大差が無い両者なのに時間切れの数秒前に一方だけに指導が入る。
 (負けの宣告をするようなものだ。それより延長時間で堂々と戦わせたほうが良いのでは?)
・大きな流れ、選手の戦意、FairPlay精神等を見ずに、枝葉末節な判断をする(失礼)。
・判断基準は公平、明確なのか?
etc,etc

いつからこんな競技になったのか?
こんな「姑息な」競技は見ていても疲れる。イライラする。

日本人選手は大半がこの「公平な」審判により、(試合をさせてもらえずに)競技場を去っていく。
そもそも柔「道」とはこんな競技なのか?

確かに関係者の壮絶なる努力により、世界中で取り組まれ、グローバル化したのは事実だ。
各国のユニークな武道の特色が取り込まれ、地域独特の柔道が生まれ、多様化してきたのも認めざるを得ない。(確かに、モンゴル相撲の技を生かした投げには驚いた)
今や、日本の国技を離れ、世界の柔道なのかもしれない。

しかし、FairPlayと皆が納得するような「指導」、正しい競技の姿勢が無くては本家の観客としては納得が行かない。

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2008年7月27日

理不尽で短絡な

またしても、突然の通り魔殺人である。理由は親が自分の話を聞いてくれなかったから?と言う。

理不尽で短絡な理解しがたい事件だ。しかも相次いでいる。

当事者(犯人)が語る理由は自分勝手で驚くが、本当の理由は全く理解できない。
それぞれの衝動が何故かが分からない。

誰でも良かった?
いやだ、嫌いだ、だけで人を殺すか?(しかも親や全く知らない人を、さしたる理由とも思えない理由で)
時代背景か?
マスコミ報道も犯罪抑止よりも、かえって煽っているのではないか?
芸能情報と同レベルで面白がって、報道しないで良いことまで根掘り葉掘り報道してないか?

ちゃんとものを考える、判断ができる年代がどんどん高年齢化(減少)しているような気がする。
親も自分の子供をきちんと育てることをサボっているのでは。判断できない子供が連日興味本位の殺人報道や殺人ドラマを見せられ、当たり前の出来事として受け止める。
無責任な報道を見せ付けられること(=親代わり)によって潜在意識に刷り込まれ、手前勝手な理由だけは子供の理論構築である。

つい最近のエントリーにも書いたが、手を打たないとどんどん伝染しそうな気がする。


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2008年7月 6日

閉塞感?

石油の価格も、食物の価格もどんどん上昇し、先行きも読めない。
世界各地で暴動が起きている様子がTVで連日放映される。

人の心が荒れている。

日本では暴動は起きてないが、これ以上の物価上昇が続くとどうなるか分からない。
先日のアキバの通り魔のような現れ方をしているような気もするし、自殺者も増えているそうだ。
若い人の閉塞感、社会からの疎外感、将来に対する不安感などかつてない膨らみを感じる。

アジアの経済的な破綻が始まり、社会的弱者を襲っている。
早く手を打たないとこのストレスは世界中でシンクロして取り返しがつかなくなるような気もする。

世界中でリーダ不在の時代が続いている。
二極化した、持つ者と持たざる者の軋轢、儲かれば何でもやると言う、倫理観を失った商人のマインドと情けない状況、荒廃した人心とギャップの大きい、方向性を失った政治。

新しい方向性を示すことが必要だ。

日本はエネルギー、自動車、農業の生産革命、などのイノベーションを含め新しいビジョンを主体的に生み出すべきだ。
時代は新しい哲学を必要としている。

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2008年4月30日

部屋全体で

ゆっくりとした久しぶりの休暇で自宅の書斎に篭もっている。
物入れのように雑然と散らかっていた部屋を片付けながら、懐かしきオブジェや書物に立ち止まりながら、好きな音に包まれ、贅沢な時間を味わっている。

「無駄な」ものを買ってしまった時は反省し、落ち込んだりしたこともあるが、今にして思うと、この楽しみのための準備をしていたんだなとさえ思える。

一見、雑然としているように見えても、自分にとってはコンパクトな、手に届く範囲に何でもある便利な思索の部屋である。
心の赴くままに、手当たり次第に手を伸ばし、妄想を膨らまし、そういえばこんな本があったな、こういうメモがあったな、こういうアルバムがあったなetcと心がサーフする。
気がつくとあっという間に5時間が経ち、周りが暗くなってきた。
知らないうちにamazonに本を20冊も発注しているし^^;、困ったもんだ。

この部屋に入ると楽しいのは、部屋全体でものを考えているからかな。
とにかく気持ちが落ち着き、エモーショナルな部分を高めてくれる。

もう少し、味わって仕事に入ろうっと。

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狂絹

狂絹(きょうけん)とは自らの志を曲げず、自分の生き方を貫くこと。

偶然にも、最近2回ほど出くわした言葉である。

人の噂や、タメ口に踊らされること無く、蓄積してきた自らの信念に正直になるべきだ。
もちろん、正すべき所は正し、自らの間違いに対する箴言には真摯に耳を傾けるべきである。

悶々とした時期もあったが、今は少し吹っ切れたな。
とにかく、気になることは納得いくまで、どんどん話をし、狂絹は譲らない。

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2008年4月26日

時間の質

久しぶりにゆっくりと休日が取れる。
ここしばらくまとまった休みが取れずに、やりたい事を封印してきたから、久しぶりのまとまった休みに、やりたい事を考えて一人で盛り上がっている。

本当はこの2〜3年の関心事として青海鉄道に乗ってチベットへ行く夢が有ったのだが、昨年は名古屋の急な仕事を頂き、直前で断念。
今年は中国の友人とも用意周到に段取りをしていたが、中国のチベット弾圧問題で暴動も含めた国際問題が発生し、旅行どころではなくなった。

ん〜、残念。
しばらくは無理だな。

そこで、別のテーマに時間を使うことにした。
その下準備に取り掛かっているが、わくわく感が増してきた。
こんな楽しい時間はひさしぶりだな。

モチベーションによって時間の質は変わる。

心にも休息と栄養を与えよう。

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2008年3月18日

大前健一の考え

大前健一が唱えるグローバルビジネスに必要な"3つ"の要素

 日本人が国際競争に打ち勝つ「 English Communicator 」 になるには"3つ"の要素が必要であると言う。

 1つ目は、【 MIND 】
      〜 臆することのない態度 〜

 2つ目は、【 English 】
      〜 グローバルに活躍できる英語力 〜

 3つ目は、【 Practice 】
      〜 ニュアンスを使い分ける実践力 〜

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2008年3月16日

共鳴する存在

最近、よく一緒に飲みに行き、会話しているMさんと言うがいる。

お互い、単身赴任の身で、晩飯代わりに毎日惰性で飲んでいると言えばそれまでだが、
毎度会話していると、その人の人格や趣味趣向まで分かってくる。
色んなことを良く知っているし、好奇心旺盛だし、取り組みが前向きだ。それに自己主張も強い^^。

とにかく、テンポ良く長時間会話でき、飽きないと言うのは、気が合うと言うことかな?
気が合う人との会話は、思わず深みに引きずりこまれるし、良い刺激がもらえるし、忘れていた大事なことを思い出すトリガーになったりもする。

考えてみると、この人生の中に、老若男女を問わず、telが入るとどんなに忙しくても調整して駆けつける相手というのはいるもんだ。

互いに刺激し合えるという事は最高の楽しみである。

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2008年2月 3日

そぞろ神

芭蕉の奥の細道には 「そぞろ神の物につきて心を狂はせ」 という文がある。
そぞろ神とは、人の心をそわそわさせて、旅に出たいなど駆り立てるものだそうだ。

各地をフラフラと飛び回りながら色んな人に会い、新しいビジネスの可能性を追いながら、自分の好奇心を満足させ、自分も向上していく。
この仕事パターンの方が、自分には合っているような気がする。
一箇所にこもって何ヶ月も狭いところでワンパターンの仕事は息が詰まるし、アイデアも枯渇してくる。

どこか行きたいな〜。
この湧き上がる感覚は、今の固定化した日常から脱出したいからかもしれない。
それは「そぞろ神」の誘いによるものなのかもね。

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2008年1月22日

顔に表れている

立場は人を作ると言う。
30過ぎての男の顔は自分の責任だとも言う。

何が「人」を、「顔」を作るのだろう。

オリンピックで優勝した人は、5分も経つと、既に勝者の風格が漂い、挑戦者のそれとは圧倒的に違って見える。
本人の中に閉じこめられていた「気」が蒸発し始める。

オーラとでもいうべきものが発散される。

この「気」か、オーラか、分からないが、人の表情、風格を構築し、長い積み重ねで、「顔」を作り上げる。
そういう意味では、いい加減な事ばっかりしているといい加減さが染み付いた顔になり、逃げてばっかりいると卑怯が染み付いた顔になるのでは?

怖いもんだ。生き方が、顔に刻まれる。
その意味で、30歳過ぎたら男の顔は自分の責任なのか。

穏やかな顔になりたいものだ。

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2008年1月11日

背景と準備

約束を頻繁に覆す仕事上のパートナー(場合により、顧客)がいるとする。
仏の顔も三度まで、では無いが、このような方との対応には、人により幾つかのパターンが考えられる。

時間も無いし、どうせ、すぐ変わる、あるいはできっこない(と思われる)約束をさせられた(勿論、ちゃんと反論もして、押し付けられたetc)時、その対応は、

,匹Δ察∨菘戮垢以僂錣襪らやらない。(無視する)
△笋辰討皸嫐L気い韻鼻¬鸞だからやる。(手戻り覚悟)
やりきれる所まではやって、約束以外(超えること)は別扱いとする。
等色んなやり方がある。

肝心なことは、それぞれのパターンは、パターンとして、背景に応じた覚悟と準備が必要である、と言うことだ。
それがないと、単なるサボリやいい加減な対応になってしまう。

やれる事や、やれる範囲に対し、常識の範囲で理解しない人に対し、どう、振舞うか?
相手によって、振舞うことや、約束する範囲、制約条件などを明確にし、自分の覚悟、準備することを考えることだ。

言葉にすると当たり前の、単純なことだが、実際の揉め事を見ていると、
・合意していない事の勝手な解釈
・相手のやり方に応じた流動的な(臨機応変な)条件付け、念押しをしない
・曖昧な事項の納得いくまでの整理、確認をしない
等を背景に、無理な作業を、あきらめムードで請け負っていることも散見される。

やる以上、納得いくまで会話し、曖昧さを排除し、その条件付けがお互いの為だと確認する。
そのプロセスを経ることが、上のスパイラルへ導いてくれる。

良い仕事をやるには、そのようなプロセスをきちんとこなせる事が前提となる。
やらないと、どういう事になるかをイメージできないと対応できないのかもしれない。
そのために、レビューがあり、プロや組織の力を借りる。
これら一連の作業プロセスや、PDCAを回すプロセスを体で理解しておくことが必要である。

プロはこれらが指摘されなくとも整然とできないといけない。
手順を(知識として)知っていることと、やれることは違う。
さらに、相手だけでなく、チーム全体、プロジェクト全体、ステークホルダ全体まで広げた円滑な運営をこなす「知恵」が必要となる。

知識を得るだけで満足し、留まっていることが何と多いのか。

経験を通して、知識の確認、いわば総合テストを実施し、バグ(勘違い、理解不足、具体論への対応など)を拾い出してこそ、本物に近づく。
作っただけのプログラムが使い物にならないのと同様に、経験を通して磨かない知識は使い物にならない。

Posted by hirarin at 09:42 | コメント (0) | トラックバック

2008年1月 9日

Own Pace

自分のPaceを確保する。自分のPaceで仕事を出来るようにする。
これは重要なことである。

自分のPaceで仕事が出来ないとは、色んな要素があり一概には言えないが、
例えば、ある上司や、顧客に当たる人が、ある設計者に直接、執拗なフォローや、自分の勉強の為の質問を繰り返したとする。
その人にとっては、2〜3回/日かもしれないが、そのような人が5人居たとしたら、設計者にしてみれば、10〜15回/日になり、とても仕事にならない。

執拗なフォローは都度、設計をディスターブすると考えるべきである。

また、設計側からすると自分のPaceを守れないような外乱は排除すべきである。
ただ、外乱にもピンからキリまであり、大きな外乱には気が付かないこともあり、気が付かないフリをすることも多々ある。

自分の本来の仕事を、本来の力を発揮する為に自分のPaceを大事にしないといけない。

       keep your own pace!

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2007年12月22日

愛すべき側面を

例えば戦争映画を描いたとしよう。
味方は聖人君主ばかり、敵は人でなしの集団となりがちだ。
実際、昔見た米国の戦争物語の描くドイツ兵は正に鬼畜であり、人間らしさは微塵も無かった。

しかし、本当にそんな事ってあるだろうか?

敵だって、同じ人の子として生まれ、家族もあり、神を信じ、優しい心の持ち主だって必ずいるはずだ。
人の集団はそんなものだ。色んな人がいて当たり前なんだ。

同じ感覚で、プロジェクトを見た場合、気持ちの合わないステークホルダーは何を言っても嫌味に聞こえるし、こちらが何を言っても永遠に理解してもらえないと思ってしまう。
しかし、これは、とんでもない誤解である。
好き嫌いを軸にした判断は必ずどこかでおかしくなる。

偶然のなせる業で、たまたまそのような人と酒席で同席し、意外な(優れた)一面を見たとする。その時は、自分の未熟さを反省すべきである。嫌いだと思い込んでいた自分を反省すべきである。
誰しも、愛すべき側面を持っているものなのだ。

味方ですら、そのような人を偏見で落とし込める人もいる。
そんなプロジェクトが上手くいくはずが無い。

プロジェクトの問題は80%以上はヒューマンファクターだと考えて間違いない。
好き嫌いで物事を決めてはいけない。
もっと大人な人の見方をしなくっちゃな。


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2007年12月15日

歩きながらが一番

「思想と言うものは歩いて考えるのが一番良い。」

      小田 実

「手足も頭も自由な状態を作るのは発想法にとって大切。」

      宮田 秀明

答えを出さねばならぬ問題を、絞って、早朝に散歩しながら考えるのはgood!
荷物を持たず、余計なことを考えずに歩き回ることで、頭のCPUがフルに稼動できる。
普段出ないアイデアも、出やすくなる。

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2007年12月 3日

夢を買う

久しぶりに宝くじ(年末ジャンボ)を買った。
昔は、確率から言って、ナンセンスだから俺は買わない、と言って買わなかったものだ。

だが、ある時、飲みながら聞いた話がその気を変えさせた。

 「宝くじは、当たらなくてもいいのよ。当選番号が発表になるまでの1ヶ月間がワクワクして、普段はもらえない夢をもらえる(買える)でしょ。」

なるほど。
その時、妙な納得をして、初めて宝くじを買った。

確かに、いざ買ったら、砂粒のような確率でも、ゼロではなくなるから、かなり気分が膨らみ、当たったらどうしよう^^;と言う楽しい夢が広がる。

特に、「今、纏まったお金があったらこんなことができるしな〜」という「夢」は歳を取ってからの方が多くなったのも事実だ。

ん〜。当たったらどうしよう^^;

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2007年10月25日

ヴォイニッチ手稿

仕事仲間のSと言う人がいる。
かなり変わった人である。齢50歳というのに、睡眠時間4時間で充分、週に何回かの筋トレを欠かさず、45歳を超えて三線(沖縄の三味線)にチャレンジし、夜間、色んな場所に出没する変な親父である。

この人は変な人と沢山付き合っているらしい。(偉そうに、人のことは言えないが^^;)
そのうちの一人が、世の中の、摩訶不思議な事例に多大なる興味を持ち、時間も金も費やしているという話を聞いた。

内容の大半は、聞き流したが、この話だけは、何となく気に留まった。

ヴォイニッチ手稿とは、wikipediaによると、

【ヴォイニッチ手稿(ヴォイニッチしゅこう)またはヴォイニッチ写本(ヴォイニッチしゃほん、英語:Voynich Manuscript)とは、暗号とおぼしき未知の文字で記され、多数の彩色挿し絵が付いた230ページほどの古文書。14世紀から16世紀頃に作成されたと考えられているが、暗号が解読できないので、何語で書かれているのか、内容が何なのか不明である。また、多数の挿し絵も本文とは無関係であるとの説もあり、謎に満ちている。

手稿は1912年に、ポーランド系アメリカ人の古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチによって、イタリア・ローマ近郊のモンドラゴーネ寺院で発見された。発見者の名に因んで、「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれる。現在はエール大学付属バイネキー稀書手稿ライブラリが所蔵する。】

この手の、摩訶不思議な話に惹かれるのは私だけかな?
世の中には、個人では知りえない話がまだまだ、沢山眠っている。

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2007年8月19日

コラボ

色んな場所に出かけて行くと、全然職種の違う人と会話が弾むことがある。
世の中には、私の知らない世界が沢山あり、それを知らしめてくれる。
知恵の豊富な人、ロマン豊富な人、旨いものを良く知っている人、作れる人etc

話が弾むと、垣根が無くなり、色んなアイデアが生まれる。
色んな刺激を与え合い、面白さや、生き甲斐などに繋がる会話に発展する。
コラボレーションの醍醐味だ。

楽しい夢が生まれてくる。

自分の本当にやりたい事は別の世界にあるのではないかと思える時がある。

もっと先を見ないといけない。
人との絆を大事にしないといけない。

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2007年8月11日

暑い夏

今年の夏は暑い。
久しぶりの夏らしい夏だ。
日中はクーラーの効いた部屋で仕事をしていて気が付かないが、昼飯や別のビルへの移動の時など暑くて、目まいがしそうになるほどだ。

暑い夏は子供の頃を思い出させる。
暑い日向や、山の中で朝から晩まで疲れを知らずに遊び回っていた。
山にも、小川にも生き物が沢山いて、飽きることが無く遊べた夢のような世界だったな。

その頃は、確かに暑くて、クーラーも無くて、今のようにモノも充分ではなかったが、食べ物も、水も、空気も美味しく、何かしら幸福感の漂う季節だった。
暑くて、涼しい季節だった。
果実も、野菜も、匂いが強く、味も主張が強い存在感のある食べ物だった。
育った田舎の風景が鮮やかによみがえる。

世間では、今日からお盆休みの帰省ラッシュが始まる。

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2007年7月16日

松坂の苦悩

オールスター戦後の後半戦最初の、松坂が投げる試合をスポーツニュースで見たが、ホームランも含め結構ポカスカと打たれていた。その前の試合もかなり打たれ、敗戦投手になっていた記憶がある。

試合は、松坂降板後に、レッドソックスが試合をひっくり返し、何と11勝目の勝ち投手になっている。
試合後のインタビューでも、自分の力で得た勝利とは全く考えていないと本人も言っていた。

一時期の、力強い力投で連勝を重ねていた時とは程遠い内容と、表情も、心なしか冴えないような気もする。

NHKTVのインタビューでも、敵が松坂の投球内容を研究し、軌道修正して来たのではないかと言っていた。

しかし、問題点を克服し、修正し、新たに進化を遂げてこそ、松坂である。
日本にいた時とは悩みのレベルも違うだろうが、世界の松坂へ脱皮する試練でもある。

それとは全く関係無いが、ギブアップしたり、ふて腐れるのではなく、問題を直視し、軌道修正していくべきであるという、現状の自分の仕事の問題としても捉えなおしたい。
松坂ですら日々、大きな壁にぶち当たり、苦悩している。
これに比べたら自分の壁なぞ小さいもんだ。

頑張れ松坂! サラリーマンのおっさんも負けずにがんばるぞ!

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2007年4月14日

腹に落ちる

こちらの顧客は、良くタイトルの表現を使う。
「腑に落ちる」という言葉は良く聞いたが、同じ意味かな。

赴任早々、前任者とも引継ぎがまったく無いまま、打合せに引っ張り込まれ、質問の山に晒される。
まだ、把握してません、等言わしてもらえない。

しかし、苦しいながらも、苦し紛れに提案資料を必死で作る。
分からないなりにも、ある理解領域、世界観が出来上がる。

それなりの年齢のそれなりのプライドもぶち壊される罵倒がある。
言い訳が言えない空気が醸し出されている。

10日経ったとき、自分なりの世界観が出来上がったような気になった。
それなりに吹っ切れたような気がした。
3ヶ月は掛かりますよ、と言われたのが、必死でもがいている内に、10日で何となく一定のレベルまで理解できた気になった。

罵倒され、必死になって対応しているうちに、ある問題領域がすとーんと、腹に落ちた。

最初は何とひどいリーダかと思ったが、まんまと敵の思う壺に、はまってしまった様だ。

危機感が甘い観念を吹き飛ばしたのか。

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2007年4月 5日

環境を変えるということ

色んなご縁で、4月から名古屋のプロジェクトに参画している。
かなり大きなプロジェクトであり、困難さの度合いも未経験ゾーンであると思える。

毎日へこたれる様な、毎日アパートに帰るとバターンキュー^^の生活であるが、すべての物事が新鮮である。
この年になっても、(この年になったからかな?)色んなことが新しく学べて面白い。

ドラッカーが、何かの書物で言っていた「成長するためには環境を変えること」も大きな手段の一つである、という言葉に、今更ながら共感している。
新しい環境、新しい困難、新しい人々、新しいご縁、に出会い、この ポンコツ ブレインはフル回転である。

異なった環境に出会い、思索の広さ、深さが更に拡大している。

この時期だから、という訳でもないが、新人のようなフレッシュな気持ちで真新しい机に向かっている。

名古屋からのblogも追々、立ち上げて行きたい。

Posted by hirarin at 23:46 | コメント (0) | トラックバック

2007年2月26日

教育の見直し

色んな分野の若い人と会話して思うのは、自ら考える習慣、力のある人は(放って置いても)
キチンと成果を出せる、と言う事だ。

然るに、自ら考える力はどうやって身に着けるのか?
人により大きなギャップがあり、各々に適したやり方を考えないとうまくいかない。
画一的な教育ではダメだ。

OJTにしろ、キチンとした道場(場)がないと有効とは思えない。

ある強い、自主的な「思い」が発現した時に、それを支え、増幅する(維持継続できる)ような、
「自ら学べるシステム」をサポートすべきだ。

「問題」のほうは、益々複雑化し、答えの無い、むしろ(自ら)独創的に答えを生み出していく、頭が求められている。

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2007年1月 8日

Cool Japanもクオリティが土台

雑誌BRUTUSに クールJapan の特集があったので購入し、正月休みに読んでみた。

なぜか、日本の感性に世界が夢中である。
今や、ゲーム、漫画、アニメなどのポップカルチャーだけでなく、映画、音楽、文学、食、ファッション、建築、プロダクトデザインなどにまで範囲を広げ、日本の文化力がクールジャパンという言葉で世界で注目を浴びている。

フランス、US、UKはもとより、ロシアでもかなり熱が入っているようであり、アジアも香港や台湾を中心に広がりを見せている。

なぜ、クールと感じるのか日本人には理解しがたい部分もあるが、高性能、高品質の次はポップカルチャーがワールドワイドに元気が良いのは間違いない。

世界を理解し、世界と繋がる、大きくかつ重要な切り口であり、注目しているし、今後もwatchしたい。

ただ、忘れてはならないのは、日本人のDNAにあるのはクオリティーであり、その土台の上に様々な華が開いていると言うことである。最近の信頼性低下の出来事が多く起きているのは、問題であり、手を打っていかないと、水をさすようなことになると思う。

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2007年1月 4日

あの人に会いたい

2007年が明けた。
この短い休日の間に、やりたい事は山のようにある(あった)が、仕掛のまま持越してしまったかな。

このBlogにも纏めておきたいことも沢山あるが、別途時間を作るか。

ところで、新年のNHK、総合、教育、BSには面白い番組が結構沢山あり、色々とエアーチェックさせていただいた。時間ができたら、個人的な整理もしたい。

そんな中、元旦の深夜に 「あの人に会いたい」 という、NHKがストックしていた年代物の、著名人のインタビューを編集して見せてくれる番組があった。
色んな意味で面白く、参考になった。

総集編ということもあって、登場人物は、小説家、音楽家、学者、宮大工、料理人、デザイナーetc 広いジャンルにわたるが、現在の自分の個人的な悩みとシンクロしている事も多く、良いヒントを沢山頂いた。
さて寝ようかなという時間だったが、想像以上に面白くて、つい最後まで(朝の4時まで)見てしまった。

すでに亡くなっている超一流の人物の映像を時空を超えてリアルタイムに見せてくれるところが、なんとも言えず不思議な感じがする。
若い頃に(当時の年代で)たまたま見ていたとしても、この深みはおそらく感じない、理解できてないであろうが、当方もそれなりに年を食ったから、それぞれの道の達人が語る内容が年相応に面白く、感じ入ってしまった。

とにかく、人間としての深みが随所に見られ、引き込まれてしまう。
登場人物は、例外なく皆さん感銘する立派な人であり、その生き方にも共鳴する。
かつ、時代が変わっても普遍的な問題の捉え方、対処の仕方、考え方の基本は全く変わらないと言うことに気づかされる。

各々の一生を賭けて得たものの意味合いとその悟り方にも共感することが多く、その真摯な生き方と比べ、自分の悩みの小ささにも恥じ入ってしまう。
録画しておけばよかったな。

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2006年11月26日

人間性

マネジメントには、その人の人間性がにじみ出るものであり、小手先のテクニックでごまかせるものではない。
世にある方法論の表面的なテクニックのみをかついで走り出すと危険であり、失敗して初めてその限界に気が付くものである。

その意味においては、凡そマネジメントの名の付くものは、広く、教養や人間学、心理学などについても学ばねばならず、時間を掛けて取り組まねばならないものだ。

人間性とは広さと深みが必要であり、時間がかかるものだと思う。
また、引き継がれてきた歴史観や仕事観、美意識なども大きく影響するものだと思う。

昨今のアルファベットが付いた(タイトルの)学問の膨大な体系に取り組むのも無駄とは言わないが、我々日本人には、日本人のDNAにYESと書いてある(蓄積された)伝統的な人間育成の方法をもっとまじめに体系化したほうが結局は早道かもしれない。

市中にあるコーチングメソッド等には違和感を覚える。

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2006年9月18日

番組の意図

番組のジャンルではドキュメンタリーに入るのかもしれないが、海外や日本の田舎を訪れ、一緒に生活をし、別れを(涙を持って)迎えると言う臭いパターンの番組が横行している。

この種のものも、最初の頃は、新鮮で、いわゆる「やらせ」感を感じなかった。
自然な展開、予期せぬハプニングなどでドキドキ、ハラハラしながら見たものだった。
時には不覚にも涙を頂戴したこともあった。

しかし、こうもワンパターンな、見え見えの、押し付けに近いお涙頂戴のシナリオを毎度見せられると、白けてしまう。

(2、3日〜1W程度の短期のstayであんなに涙を流す別れになるかな?出演者にも、無理に演技を強要しているような不自然さを感じる。)

本来、シナリオ無きシナリオに基づいて製作し、ハプニングが起きたら、それこそが番組の意図する狙いではなかったのか。
視聴者も「やらせ」には気がつく。
自然なハプニングこそ、劇的な面白みは無くとも、返って人をひきつけると思う。

旅の終わりに涙の別れが、無いなら無いで、訪問先の人々の国民性や、時代背景の特徴が出て面白いではないか。

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