2008年8月31日

MPUFの中間成果

1〜2回/月、新宿のマイクロソフトのワークショップに通っている。
リスクマネジメントの研究会で、リスク感性イニシアティブというテーマでかなり多方面な人たちが集い、面白いワークショップになっている。

昨日、11月の本番に向けた中間成果のプロトタイプの成果発表(レビュー)があった。
定時後の2時間という短い打ち合わせだけの割には、面白いものができた。
昨日は土曜日ということもあり、色んな会話が発展し、楽しかった。

ワークは2チームでやったが、Bチームの纏めをやらせてもらった。
発表しながら、気づきを沢山貰った。

不確実なものはそれ自体無色である。
その捕らえ方で、リスク(クライシス)にも、チャンス(オポチュニティ)にも為り得る。
リスク感性とは予見力であり、全体バランスの捉え方でもある。

このワークショップはリスク感性向上のための以下のツールを試行する。
・リスクセンサ
・リスクナビ
・リスクビュア

ここでも、社外のしかも若い人の息吹を強く感じる。

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ゲリラ豪雨

連日、不安定な天気が続いている。
日中は晴れ渡っていても、夕方は雷が鳴り、それこそスコールのような豪雨になる。

夕立には、昼間の熱気と、空気の汚れを一掃し、清々しい夕方を招いてくれるという良いイメージを持っていたが、そのイメージを変えかねない凄まじさである。
しかも、短期的ではなく、もう2週間もこんな感じだ。
傘を持っていても、役に立たないような物凄い降り方であり、かつ風を伴った荒れた天候だ。

北方の寒気を伴った高気圧が居座ったせいで、偏西風のルートが大きく変わっているとニュースで解説している。今年だけであれば良いが、来年以降も続くようだと、今から本気で対策を取らないと危険だ。

局所的な大荒れの降り方なので、予測も立てられず、警報も限界と思える。
各地で大通りの車が浸かるほどの一気の集中豪雨である。

異常気象が続く。

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2008年8月29日

100円のPC

100円PC、というキャッチに引かれて店内に入ってみたら、例のEeePCのEmobileとの抱き合わせ価格だった。(Emobileの2年契約とセットで100円というキャンペーン)。

面白い企画であり、EeePCも思っていたより使えそうな気がした。
さすがに、1台目のPCとしては限界があるが、持ち歩きのための2台目、3台目としては案外、面白いかも。

店頭で、通りがけにほんの少し触ってみただけだが、winXPで、Emobile搭載だとmail、web系の使い方であればストレス少なく、結構使える感じがした。(winCEのPDA端末よりよっぽど快適)この大きさ、早さだと喫茶店でも恥ずかしくなく出せるし、使い道も色々とイメージが沸く。正にユビキタスに近づいたな。

ただ、
画面がちょっと小さい(800×480ドット)、もう少し欲しい。
重さがちょっと?コンパクトな割には?
使い分けかもしれないが、ストレージ容量が?
バッテリー時間が?
などなど、気になることも多い。後でspecを調べてみよう。

まあ、この価格なら気楽に買えて、気楽に持ち歩けるか。

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2008年8月23日

つんくのお好み焼き

NHKTV「食彩浪漫」で、つんくが土鍋で炊くご飯と、お好み焼きの作り方を紹介していた。
アナウンサーが「ご飯のおかずが、お好み焼きですか?」と驚いて聞く。

関西では普通のことで、あのソースの味を一口でも食べるとご飯がほしくなる、と言う。
それに、彼が作るお好み焼きは、粉を焼くというより、温野菜を作ると言う感じだそうな。
粉や芋(じゃがいも)は野菜のつなぎとして、ほんの少し入れるだけ。
(だから、自分の中では、おかずだ、と言いたそうだ。)

男料理というより、女性が作っているような繊細さを感じる。
材料や道具にも好みがはっきりしていて、作り方にもこだわりの強さが沢山見られる。
やはりミュージシャンだからな。

食べる時には、関西の普通のおばさん(失礼、おっさん)に戻る。
関西人は、食べる時も、よく喋るし、楽しそうだ。とにかくエネルギッシュだ。

多種の薬味、隠し味を使い、つなぎも工夫し、適度に寝せ、ご飯の炊き方にもこだわりがある。
段取りや、道具に対するセンスも、おやっと、思わせる瞬間が結構あった。


対象が音楽であれ、料理であれ、モノ作りに精通すると、一定以上のセンスが磨かれるのかな。
この人、ミュージシャンとしてはあまり興味が無かったが、この番組では意外な一面を見た気がした。


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2008年8月22日

野球は残念だ!

韓国に2敗!
色々言っていた割には、勝ちに対する執念、粘りが見えなかった。
何で、大事な場面で、絶不調の岩瀬にあそこまで拘ったのか?

和田や杉内、ダルビッシュ、田中など使い道、タイミングにも(観客としては)疑問が残る。
勝負はある意味時の運ではあるが、流れを見ていて、短期決戦の覚悟が不充分ではなかったか。
色んな意味で禍根の残る敗戦だった。

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大人のコメント(400mリレー)

素晴らしい、歴史的な勝利であった。
力を振り絞って、4人のベストを紡いで、執念で走りこんだ勝利であった。

残念な結果が多かった陸上で、もう後の無い(旬の過ぎた)人たちの頑張りは、感動を与えてくれた。
しかも、レース後のインタビューも、4人とも感謝の念に満ちた爽やかなコメントであった。
自分の力でねじ込んだなどと言わない。
過去の諸先輩の積み重ねで成立したと言う、しかも自分たちはその上でやってきたことを信じて無我のレースを走りきっただけだと。
人間、精一杯やった後の嘘の無い晴れやかな顔だ。

作られたシナリオではない、神のみが知る結果である。

満身創痍の苦労を重ねた人たちが「期待されてない」競技で最高の勝利を得た。
80年かかってやっと手にしたメダルだ。歴史的な勝利だ。

心からおめでとうをいいたい。

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2008年8月16日

一意専心

北島選手は100Mで金を取ってから、1Hrも経たないのに別人のように顔つきが変わった。
人生を悟ったかのように大人の顔になった。
「超気持ちいい〜」と言っていた子供の顔はすっかり消えてしまった。

その後は、もともと、200Mの方が得意だったのも有り、勝利を確信した余裕ある泳ぎであった。
100Mの勝利で吹っ切れて何かを得た「脱皮」の成せる業にも見えた。

一時は負傷でタイトルが取れず、国内戦にも勝てない状況でひどく落ち込んだ時期もあったそうだが、立派なのは自己をきちんと見つめ、分析し、自分の強さ、弱さをきちんと受け入れ、弱点補強に努めたことだ。

金を取って当たり前と言う国民の(良きにしろ、悪しきにしろ)多大なる期待は相当な重圧だったに違いない。
大きなプレッシャーと責任感でこの青年のDNAに何かのビットが立ったと思う。

強い選手は、どの選手にも以下の3つの取り組みが共通すると思う。
・思い続けること
・基本を大事にすること
・心身ともに強化すること

タイトルの「一意専心」とは、脇目をふらず、ひたすらに集中して物事に努めること、である。
北島選手が今年の年賀状に大きく書いた言葉である。

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オリンピック雑感

オリンピックが連日、熱戦を続けている。
色んな身辺整理をしながら観戦している。

胸を打つ頑張りや、ドラマも多い反面、何だコリャというシーンも多く疲れることも多い。

色んな人種がおり、国情があり、成熟度がある。
その複雑な背景を背負った選手がおり、応援があり、そして「審判」がいる。

柔道の試合は久しぶりに見たが、正に「何だコリャ」である。
「指導」なる名の元に、色んな珍現象が見られる。
・間違って反対側の選手に指導が与えられても(審判団の)誰も気づかない。
・技を掛けて戦うことより、僅かな指導点にしがみつき、腰が引けて逃げ回るほうが勝ち?
 (これが戦略??)
・ほとんど大差が無い両者なのに時間切れの数秒前に一方だけに指導が入る。
 (負けの宣告をするようなものだ。それより延長時間で堂々と戦わせたほうが良いのでは?)
・大きな流れ、選手の戦意、FairPlay精神等を見ずに、枝葉末節な判断をする(失礼)。
・判断基準は公平、明確なのか?
etc,etc

いつからこんな競技になったのか?
こんな「姑息な」競技は見ていても疲れる。イライラする。

日本人選手は大半がこの「公平な」審判により、(試合をさせてもらえずに)競技場を去っていく。
そもそも柔「道」とはこんな競技なのか?

確かに関係者の壮絶なる努力により、世界中で取り組まれ、グローバル化したのは事実だ。
各国のユニークな武道の特色が取り込まれ、地域独特の柔道が生まれ、多様化してきたのも認めざるを得ない。(確かに、モンゴル相撲の技を生かした投げには驚いた)
今や、日本の国技を離れ、世界の柔道なのかもしれない。

しかし、FairPlayと皆が納得するような「指導」、正しい競技の姿勢が無くては本家の観客としては納得が行かない。

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趣味が高じて

NHKTVに俳優、声優の石丸謙二郎さんが出ていた。
海岸をマウンテンバイクに乗り、トレーニングモードで、(かなりのスピードで)颯爽と通り過ぎる。

料理の番組であったが、この人の多趣味を知ることとなった。
番組は、この人の別荘(?)と思しき場所で収録される。
従って、部屋に入ると直ぐに、いやでも色んなものが目に入る。

ウインドサーフィンの(自分で作った)筋トレ用のツール、各種トロフィー、フリークライミング(所謂壁登り)のトレーニング用の懸垂ツール、そして釣りの話。

この人、趣味となったことを徹底的に極めるまで続ける人のようだ。
決して無理をせず楽しみながらやるので、長く続くと言う。根性ものの「暗さ」が無い。
職業の俳優自体が、学生の時の「楽しいから」やり続けた趣味の一つが高じたものだと言う。

うらやましい限りである。

肝心の料理であるが、自分で釣って来た石鯛を丸ごと食べ尽くす、と言うことで、次の3種類の料理をする。
,造り
骨蒸し
D汁

小さい頃に母親の作るのを見て覚えたと言うが、随所に凝り性が見え隠れする。
さしみは包丁の切れ味で決まる、と切る前に入念に研ぎあげる。

何より感動したのは、その食べ方である。
魚好きの食べ方である。丸ごと食べ尽くす。おいしそうな満面の笑みである。
おいしそうに食べる人に悪い人はいないと言うが、さもありなん、と思わせる食べっぷりである。

骨の一本、一本まで分解してしゃぶる。魚の方も本望であろう。

余計なことを言わない。しかし、チラチラッと、うれしそうに話す趣味の話の端々に、極めているレベルが見える。
54歳にして、好きなことを楽しく追求し、続け、極める。
この人が話すと、辛い筋トレも楽しそうに聞こえるから不思議だ。

いいな。力みの無いエネルギー効率の良い生き方だ。
老後の参考になる生き方かな。

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2008年8月 9日

タモリの弔辞

我々の世代には色んな意味でインパクトのあった赤塚不二夫さんが亡くなった。
その葬儀での弔辞をタモリが読み上げているのをTVのニュースでチラ見はしたが、短時間の放映であったので、さして気にも留まらなかった。
しかし、今日、知り合いのコンサルがすごい弔辞だから見てみな、と言うので探して見た。
確かに感動的なものだ。しかも読み上げていたものは原稿ではなく、白紙であり全てアドリブで言っていたのでは、という話題になっているそうだ。

見てない方は、是非ご覧あれ。

◆タモリ弔辞全文◆

 弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義

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